禹は ≪中国・歴史・伝説≫
中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。
名は、文命(ぶんめい)、大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は-(じ)、夏王朝創始後、氏を夏后とした。
父は、鯀であり、鯀の父は、五帝の1人である帝である。
従って、禹は、帝の孫である。また、帝は黄帝の孫であるので、禹は、黄帝の玄孫にもなる。
塗山氏の女を娶り、啓という息子をなした。禹は人徳を持ち、人々に尊敬される人物であった。
また、卓越した政治能力を持っていた。しかし、それでいて自らを誇ることはなかった。もっとも伝説的な人物であるから、このような聖人として描かれるのであろう。
帝堯の時代に、禹は、治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった。
『列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、子供も育てず、家庭も顧みなかったので、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。
しかしこの伝説は、どうも元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語のようである。『
名は、文命(ぶんめい)、大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は-(じ)、夏王朝創始後、氏を夏后とした。
父は、鯀であり、鯀の父は、五帝の1人である帝である。
従って、禹は、帝の孫である。また、帝は黄帝の孫であるので、禹は、黄帝の玄孫にもなる。
塗山氏の女を娶り、啓という息子をなした。禹は人徳を持ち、人々に尊敬される人物であった。
また、卓越した政治能力を持っていた。しかし、それでいて自らを誇ることはなかった。もっとも伝説的な人物であるから、このような聖人として描かれるのであろう。
帝堯の時代に、禹は、治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった。
『列子』楊朱第七によれば、このとき仕事に打ち込みすぎ、子供も育てず、家庭も顧みなかったので、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという。
しかしこの伝説は、どうも元来存在した「禹は偏枯なり」という描写を後世に合理的に解釈した結果うまれた物語のようである。『
update:2009年10月05日
